めいじてんのう どうぞう
明治天皇銅像奉建の由来
明治は明治天皇が慶応三年一月九日皇位をつき御即位式は翌四年八月二十七日に行い明治改元は同年九月八日より施行せられ明治四十五年七月三十日崩御(御年六十一才)で閉じている.
始め明治は激しい混乱と最悪の時流の中に慌しく出発した.当時世界の強国が東洋の侵略に牙を向けていたさなかに,国内の動乱を制し,内政は武家から民主政治体制に大改革を断行,鎖国により低迷していた我が国文化に西欧文明を盛んに入れて近代的産業の開発に努め,激動する内外の情勢下に強大なる清国及露国の朝鮮や満州に対する侵略に抗して戦端を開き勝利を得,この東洋の一小島国が偉大なる発展と栄光をもたらし明治の終りには世界の五大国に列せられていた.
我国は肇国以来二千数百年、皇統と共に維持され繁栄してきた事実は大和民族の信仰的理念に依るものであり,明治維新もかかる伝統の再編成にほかならなかった.
明治天皇は御即位の時、神前に五ヶ条の御誓文をたてられた.
即ち
一,広ク会議ヲ興シ
一,
一,官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ
一,旧来ノ
一,知識ヲ世界に求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
この御誓文で,従来の封建制度を打破し,武家政治を廃し,議会政治による民主国家の大道を開かれた.
現在,わが国の経済的発展は世界の大国米国に次ぎ世界第2位に躍進しアジアの先進国として揺るぎない地位を確保しているが,この繁栄の基盤を築いたのは明治の人々であり,明治天皇を中心に全国民が一致団結して心血を注いだ愛国の熱情を永久に忘却してはならない.
今茲に明治百十二年,徳島県再置百年を記念し,天皇と共に明治人の偉業を後世に伝えるため徳島の有志相寄り,この聖地に明治天皇の御尊像を建立した所以である.
昭和五十四年十一月三日
大日本皇道会 会長 美 平 晴 道 謹書
11月3日(明治節)