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最終更新日:2621/02/15

蜂須賀茂韶詩碑

はちすか もちあき しひ

蜂須賀茂韶詩碑
蜂須賀茂韶詩碑,表面.蔦に絡まれてゐる.(令和元年10月02日撮影)

  • 所在地:徳島県徳島市眉山町大滝山
  • 電 話:
  • 交 通:JR徳島駅より徒歩20分
        JR徳島駅前市営バス@番乗り場から乗車5分 西大工町三丁目 下車徒歩8分

【碑 文】

 〔表 面〕

 自有蒼々鑒赤誠
     誠堂韶書

 (書き下し)

 自ら蒼々赤誠にかんがみるあり

【概 要】

  • 高さ 115 cm
  • 幅   65 cm
  • 厚さ  37 cm

【由 緒】

 

蜂須賀はちすか茂韶もちあき

 弘化3年(1846)生,大正7年(1918)沒.政治家,コ嶋藩14代藩主.元侯爵.号は誠堂.別号に霰笠.幼名千代丸.弘化3年8月8日,コ嶋藩12代藩主 蜂須賀斉裕の次男として江戸邸で生まれる.明治元年(1868)議定職兼刑法事務局補,権中納言となり,東京鎮撫を命ぜられ,同2年(1870)徳島藩知藩事となる.同4年(1872)朝廷に封土を奉還し東京芝区三田綱町に住む.同5年,イギリスへ留学,同12年(1879)帰国.同15年(1882),パリ駐知公使となり,ヨーロッパ各国の公使を兼ねる.帰国後,東京府知藩事,貴族院議長,文部大臣,枢密顧問官などの要職を歴任する.
 大正7年2月10日沒.享年73歳.同7年2月,從1位に陞り旭日桐花大綬章(勲一等)が贈られる.万年山墓地に葬る.菩提寺は阿波の興源寺.法号,大源院殿誠堂至忠大居士.


参考文献

吉益 譲著(S.62)『徳島の文学碑』徳島県教育印刷株式会社